2005年 12月 31日
大晦日は命日 |
机の引き出しを整理していたら、
新聞の切り取りをコピーしたものがあった。
それは、読者コーナーに投稿した父親の記事。
日付は1988年6月17日。
父親が亡くなったのはその年の大晦日だから、6ヶ月ちょっと前のものだ。
タイトルは「右目に第二の人生」。
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入院、第一回の手術を受けてから、四十日。第ニ回の手術では、右眼摘出と告げられた。
病気を治すためには仕方がない、とあきらめはすぐついた。
しかし、落ち着いて考えると、患部は目の裏にあって、眼球そのものは健全だし、
これを摘出して、ポイと捨ててしまうのは惜しい気がする。
どうせすててしまうものなら、目が不自由で、それを必要としている人に使っていただき、
その人が光を得るなら、これに越したことはない。担当の先生に聞いたら、
「眼科の方と相談してみます」とのこと。
この目が、私から離れて第二の人生を迎えるのである。
どんな人のお役に立つのかは、わかならない。男か、女かも。いくつくらいの人かも。
二十一世紀を私は見ずして終わるだろうが、私の目は、きっと二十一世紀を見てくれるだろう。
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父の願いは叶わなかったが、
父の気持ちは読者の何人かに届いたと思う。
新聞の切り取りをコピーしたものがあった。
それは、読者コーナーに投稿した父親の記事。
日付は1988年6月17日。
父親が亡くなったのはその年の大晦日だから、6ヶ月ちょっと前のものだ。
タイトルは「右目に第二の人生」。
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入院、第一回の手術を受けてから、四十日。第ニ回の手術では、右眼摘出と告げられた。
病気を治すためには仕方がない、とあきらめはすぐついた。
しかし、落ち着いて考えると、患部は目の裏にあって、眼球そのものは健全だし、
これを摘出して、ポイと捨ててしまうのは惜しい気がする。
どうせすててしまうものなら、目が不自由で、それを必要としている人に使っていただき、
その人が光を得るなら、これに越したことはない。担当の先生に聞いたら、
「眼科の方と相談してみます」とのこと。
この目が、私から離れて第二の人生を迎えるのである。
どんな人のお役に立つのかは、わかならない。男か、女かも。いくつくらいの人かも。
二十一世紀を私は見ずして終わるだろうが、私の目は、きっと二十一世紀を見てくれるだろう。
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父の願いは叶わなかったが、
父の気持ちは読者の何人かに届いたと思う。
by honomara
| 2005-12-31 22:20
| 生活